縁起書によると、用明天皇の丁未の年(587)聖徳太子の開基と伝えられています。太平記には、足利尊氏とその子義詮がこの地に身を寄せたことが記されており、当寺が足利氏とゆかりが深い事が伺えます。下って明智光秀の丹波攻め(16世紀末)の際、山門を除いて一山ことごとく焼失しましたが、以来歴代住職や信徒の尽力により復興されました。山門の金剛力士立像は(国重文)は仁治3年(1242)約760年前肥後法橋定慶の作です。