このお堂は昭和49年に県指定文化財に指定されております。現在の建物は度々修理が加えられており、同じ棟札に野瀬倉山仏光寺薬師如来堂に記され棋山六ヶ村中が施主となっています。また、建物の西北隅の柱に天正時代の兵乱の時、明智軍がつけた刀傷だと伝えられている跡が残っております。