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丹波布

丹波布
丹波布

丹波市観光100選】伝統行事・工芸品等部門選定

江戸期から明治初期頃、佐治郷で縞貫(しまぬき)といって各農家で日常的に織られ、普段着として使われていた布がありました。

手作り綿で糸を手紡ぎし、近くの野山の草木で染め、養蚕の盛んだった当地の屑繭(くずまゆ)のつまみ糸を入れて手機を使って織ります。

農閑期の女性の手で生産され山陰や京阪神地方に幅広く流布していました。

しかし、この全国に例をみない行程で作られた丹波布も工業化に伴い次第に需要が減っていきました。

今では国指定選択無形文化財となり復興のきざしが見えています。

以下 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

丹波布(たんばふ / たんばぬの)とは、丹波国佐治村(現在の兵庫県丹波市青垣地域)で織られていた手紡ぎの木綿を交織にした平織の手織り布。

本来の呼び名は縞貫(しまぬき)もしくは佐治木綿(さじもめん)だったが、柳宗悦が『日本工芸』で丹波布の名で紹介して以来、丹波布の名で通るようになった。丹波篠山に伝わる「丹波木綿」とは名前が似るが、別のもの。

ざっくりとした風合と素朴な美しさから、柳宗悦に「静かな渋い布」と称されて愛された。

文政年間に播州木綿の影響を受けて、野良着などとして制作が始まったと考えられている。

幕末から明治の初めに盛んに制作され、京都周辺で布団や小袖に仕立てられて愛好されるようになる。

しかし、大正時代に入って衰退し、忘れ去られることとなった。

昭和の初めに至り、柳宗悦が京都の朝市で偶然に魅力的な縞木綿を見出し、工芸研究家の上村六郎に産地の特定を依頼した。上村は昭和6年(1931年)に、縞木綿が佐治村で織られていた佐治木綿であることを特定。

昭和28年(1954年)に上村の指導により、丹波布の再現が行われる。昭和29年(1955年)には、上村と柳の後援の下、地元保存会が発足する。

木綿平織の縞織物だが、緯糸に木綿だけでなく屑繭から紡ぎ出した「つまみ糸」を織り込むことに特徴がある。

藍と茶を基本色とし、藍と茶と黄、藍と黄を合わせた緑で縞柄や格子柄を織り上げる。

染料は村の周辺で手に入る植物に由来する。藍に加えて、茶色の染料として里山に自生するの皮、ヤマモモの樹皮、ハンノキの樹皮などを用いる。黄色は田畑の畔道に生えるコブナグサを中心に、キクイモビワの樹皮を使う。

これら自然の染料を媒染剤を変えたり、浸染の回数を加減することで、微妙な色調を表現する。

丹波布を未来に残すため、その技術習得・伝承することを目的に「丹波布伝承館」があります。


  • 住所
    〒〒669-3803 兵庫県丹波市青垣町西芦田541-1
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    TEL:0795-80-5100
  • 営業時間
    10:00~17:00
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    火曜日
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