【丹波巡礼の旅】
【神社庁兵庫県丹波市支部 15社】
御祭神
日子番能邇邇藝命 (天照大神の孫)
社格
延喜式内社 神名帳に記載
村社 明治6年
郷社 昭和13年7月
昭和16年10月 旧社名 奴々伎神社 から伊尼神社に復古改称
縣社 昭和17年6月
建築様式
本殿三間社春日造≪間口三間、奥行一間の身舎に庇が付き、庇中央一間の屋根を一段高く切り上げた変則的な社殿である≫極めて珍しい形式の社殿であるだけでなく、16世紀に遡る遺構として極めて重要な建物である
⛩由緒
当神社は29代欽明天皇の朝庚申の年の創祀と伝えられている。丹波地方でも有名なる古社である。
丹波平原開拓に当り国土経営の守護神として邇邇杵尊(紀)を祭っている。また、配祀として穀霊大市比売命を祭る。
古来より領主並びに武将の尊崇厚く 名桜年(1494)当地赤井城主赤井伊賀守忠家が本社を造営する。また、弘治元年(1555)11月に孫の赤井五郎兵衛太夫家清が本社を再建。甲冑一領を奉納する。武運長久を祈る。
延宝、天和以後、旗本の安藤、須田、水野の三武将の崇敬厚く、当社、祈雨の明神として知られ、また武運長久の守護神としても、これら3氏崇拝が厚かったと言われている
🖌 ご朱印の授受
ご朱印
直筆 (不在の場合ご対応できないこともございます)
授受対応時間 9:30~16:30
初穂料 300円
当社は古来 沼貫庄(現在の南地区)と呼ばれていた。
総社として西丹波一帯の尊崇厚く、例祭には(立会祭礼)と称し、西丹波地方より神輿又は段尻を奉じて当社に集まり、渡御に参加していたと伝えられる。地方でも稀なる祭礼として有名である。しかし現在では当時の盛大なる祭事は廃れてはいるが現今の例祭渡御には、各村より神幣を奉じ、その行列に参加し今に古風を残している。
🚻トイレ 鳥居をくぐり10mぐらい歩いて左側の建物です
👂ちょこっと耳寄り情報
6月中旬 ヒメボタル(自治会の観賞会もあり)
11月 紅葉
中井権次一統の彫刻…5代目中井大五郎橘正忠の相方の久須善兵衛政精。📷