【丹波巡礼の旅】
【神社庁兵庫県丹波市支部 15社】
【国指定文化財】
御祭神 高倉下命
配祀 天火明命 経津主命 建田背命 比賣神
御利益
産業守護、開運厄除 健康長寿
創建
当社は、もとは金屋に鎮座していたが、弘治3年(1557)現在地に遷り、現在の本殿は宝永2年(1705)に氏子により再建された。大工棟梁は谷川の清水武右衛門と清水七郎左衛門である。石鳥居は元禄6年(1693)に氏子が建立したものである。
社格・建築
延喜式内社
五間社流造、檜皮葺、向拝一間唐破風付
建物の身舎は正面5間、背面6間。側面2間、庇1間の流造の正面に、1間の唐破風造の向拝を付け、屋根には左右に千鳥破風を置いています。斗栱は和様三手先で、中備の蟇股、手挟、板支輪等の彫刻や妻組の構成には元禄期の手法を駆使した、県下では例のない18世紀初頭の神社建築であるとともに、当時のおける当町谷川工匠のすぐれた技術を示すものであります。
⛩御祭神神話
高倉下命については古事記、日本初期によると「桓武天皇が日向国より大和国へ東遷の途次、熊野において邪神の邪気にあたり、全員病み臥し全身不能となられた時、高倉下命が天照大神の詔を受けられ、所管の倉より経津御魂剣を取り出し、天皇に奉られた。天皇はこの霊剣の霊力により悪気を払い無地に大和の国へ進むことが出来た」と事績を伝えております。
この神話が伝えられますように、高倉下命は早くより紀伊国熊野に天降され、その地方を統治されるとともに、人々を悩ます厄難を祓城し、幸運をもたらし給うた神であらせられる。
御神名の「高倉」は高床式の倉の意で、穀物を収納する倉の意であり、「下」は主の意で、高倉を収宰とする「開運厄災」の神として尊崇されております。経津主命は物部氏が氏神として奉斎した神で、古来「武神」としてまた「鎮魂」即ち私たちの魂を体内におししずめ強化し、健康と長寿を守り給う神として広く尊崇されています。
🖌 ご朱印の授受
ご朱印
直筆
授受対応時間 10:00~17:00
初穂料 300円
🚻トイレ 社務所の横にあります
※トイレットペーパーが常備されていないこともありますので、必ず流せるティッシュをご用意ください
👂ちょこっと耳寄り情報
高座神社の境内には県指定文化財、県の天然記念物では唯一の樹種、フジキがあります。
フジキ
あまりなじみのない木の名前ですが、小さな葉が藤の葉に似ているため名付けられたといわれています。別名・ヤマエンジュ。マメ科の植物で6月頃に咲く花は白く、その実は枝から豆のサヤがぶら下がるように実ります。
高座神社のフジキは、幹周り420cm、樹高20mの巨木で、全国的にもフジキの巨木はあまり知られておらず、貴重な樹木となっています。 (丹波市HPより)