【丹波市観光 100選】寺院・神社部門選定
【丹波巡礼の旅15社】
【兵庫県神社庁丹波市支部】
御祭神
誉田別命(応神天皇) 息長足姫命(神功皇后)
比賣三柱命(多紀理比賣命・多紀都比賣命・市杵島比賣命)
ご利益 御神徳
厄除開運・家内安全・勝負必勝 病気平癒・健康長寿・交通安全等
創建
創建当初の社殿は南北朝時代の貞和元年(1345)荻野安芸守が足利氏とこの地で戦い、その兵火によって焼失し、その後再建された社殿も戦国時代の天正7年(1579)織田信長の命をうけた明智光秀の丹波攻略の戦火により焼失し、その後天正10年(1582)羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は黒井城主堀尾毛介吉晴を普請奉行に任じて武運長久の祈願所として社殿造営を開始し、天正13年(1585)に再々建したのが現存する社殿 本殿は三間社流造、拝殿は入母屋造の両殿が接続した複合社殿で、正面には唐破風の向拝、屋根は総桧皮葺で、昭和の解体修理の際に発見された資料によると、再建以来改造が繰り返され、現存の社殿はこうした改造過程を経た姿であり日光東照宮の建築等にみられる「権現造」の先駆けとして建築史上非常に貴重な建造物です。国宝・国の重要文化財に指定されています。
厄除けの神威が高く、毎年2月17日、18日に斎行する厄除大祭は「丹波柏原の厄神さん」と親しまれ全国各地より多くの参拝者で賑わい、17日深夜に執り行われる「青山祭壇の儀」は日本最古の厄除神事で、往古の道饗祭(みちあえのまつり)、疫神祭(えきじんさい)の遺風を今に伝えています。
⛩ 御祭神神話
社伝によると、舒明天皇の御代(629~641)に出雲連が入船山(当宮の鎮座する山)に素戔鳴尊(すさのおのみこと)を奉祀したのが当宮の創始と伝えられています。
その後、萬寿元年(1024)に入船山周辺の3箇所から霊泉の湧出を奇瑞とし、後一条天皇の勅意により国家鎮護の社として京都の石清水八幡宮より御分霊を勧請し、丹波国「柏原別宮」として創建されました。
境内には兵庫県指定重要文化財に指定されている三重塔と釣鐘が現存し、神仏習合当時の景観を今日に伝える全国でも極めて珍しい神社です。
厄除けの神威が高く、毎年2月17日、18日に斎行する厄除大祭は「丹波柏原の厄神さん」と親しまれ全国各地より多くの参拝者で賑わい、17日深夜に執り行われる「青山祭壇の儀」は日本最古の厄除神事で、往古の道饗祭(みちあえのまつり)、疫神祭(えきじんさい)の遺風を今に伝えています。
🖌 ご朱印の授受
ご朱印 直筆
授受対応時間 9:00~16:00
初穂料 300円
🚻トイレ
鳥居前にある公共トイレをご使用ください
※トイレットペーパーが常備されていないこともありますので流せるティッシュペーパーを用意ください
👂ちょこっと耳寄り情報
●三重塔
現在の三重塔は文化10年(1813)~文化12年(1815)にかけて建立されたもので、全国で神社に塔が現存する18例の1つに数えられる貴重な建築です。現在は兵庫県の指定重要文化財に指定され、古来より柏原のシンボルとして親しまれています。★高さ 26.15m ★兵庫県指定重要文化財に指定
●本殿前の狛犬
文久元年(1861)柏原大新屋の上山孝之進・柏原北山の田口金次が寄進したもので、作者は丹波佐吉(村上照信)、台石の文字は筑前国(現在の福岡県東部)の女儒学者亀井小琴の文字です。
丹波佐吉は但馬の竹田で生まれ、幼い頃両親と死別し、柏原大新屋の初代難波金兵衛に養われて石工を志します。 その後京都、大阪で活躍し佐吉が彫った仏像が孝明天皇の目に留まり、大いにお褒めの言葉を賜った人物です。この狛犬は佐吉の晩年の作品で、豪快で躍動感のある最高傑作です。平成23年老朽化に伴い修理され、創建当時の姿を取り戻しました。